福島民友新聞「窓」
2020/10/10投稿
2020/10/21掲載の連絡 掲載版は未入手
NHK朝の連続テレビ小説「エール」も戦中が舞台となった。
古関裕而さんと同時代に活躍した秋田県出身の歌手・東海林太郎さんと関係を知りたく、古関裕而記念館のデータベースを使い調べた。発売されたレコードは、東海林太郎が荘司史郎という変名を用いた「春の哀歌(はるのあいか)」作詞・島田磬也 1934(昭和9)年 1月発売の一曲のみだった。お2人が社会に名前をだす以前であり、話題にならず売れなかった作品だ
2人の評伝などの資料を確認してみたが、それ以降も専属契約のレコード会社が異なり、ヒット曲を出す地位となっても歌手と作曲家として曲を生み出すことは無かったようだ。
同時代に生き、同じ東北人でありクラッシック音楽の素養を背景に持つ東海林太郎に対し、古関裕而さんならばどんな曲を提供したか、こんな「もしも」を想像している。
福島民友新聞
https://www.minyu-net.com/
2020/10/10投稿
2020/10/21掲載の連絡 掲載版は未入手
NHK朝の連続テレビ小説「エール」も戦中が舞台となった。
古関裕而さんと同時代に活躍した秋田県出身の歌手・東海林太郎さんと関係を知りたく、古関裕而記念館のデータベースを使い調べた。発売されたレコードは、東海林太郎が荘司史郎という変名を用いた「春の哀歌(はるのあいか)」作詞・島田磬也 1934(昭和9)年 1月発売の一曲のみだった。お2人が社会に名前をだす以前であり、話題にならず売れなかった作品だ
2人の評伝などの資料を確認してみたが、それ以降も専属契約のレコード会社が異なり、ヒット曲を出す地位となっても歌手と作曲家として曲を生み出すことは無かったようだ。
同時代に生き、同じ東北人でありクラッシック音楽の素養を背景に持つ東海林太郎に対し、古関裕而さんならばどんな曲を提供したか、こんな「もしも」を想像している。
福島民友新聞
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